最近読んだ本 2018/06/01-2018/06/30
今月はそこはかとなく本を読んだ。
人を動かす
- 作者: デールカーネギー,Dale Carnegie,山口博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/10/31
- メディア: 単行本
- 購入: 174人 クリック: 3,319回
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いっちょ自らの意思で自己啓発書でも読んでみるかと思い読んだ。
「常に笑顔でいて人当たりのよさそうな態度を取ることを心がけ、自分の話ばかりするのではなく人の話をよく聞いてみよう」みたいな人間関係を円滑にするための処世術もとい教訓が口触りの軽い文章で延々と羅列されていてよかった。
まぁまぁ面白く読めたし納得できる内容ではあるけれど、自分の意志で読む自己啓発書でもめちゃくちゃ上滑りしたので人に読むよう強制されても全く心に残らないんだろうなぁと思った。
グリーン・レクイエム
沙耶の唄の元ネタだと知って何の気なしに読んだ。(沙耶の唄をプレイしたことはないが)
時代感がすごいティーンSFで大人になってから改めて読む本ではなかったな……という気持ちになった。
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉
飛浩隆の長編。
今まで短編しか読んでいなかったのではじめての長編小説だったがこれがまたメ〜チャクチャ面白かった。
人間が訪れる事が無くなり廃棄された仮想現実上でのAIの意識を描くという題材や設定は割と古典的だなぁと思いつつ読み進めていたら2002年に出版されていたことを知って本当に驚いた。
どういう脳みそをしていればこんなに写実的で美しい文章が書けるのだろうか、というくらいとにかく文章が上手く、今まで読んだ数多くの本の中でもより白眉で、ページをめくってもめくってもいい文章が出てくるので夢中になって読んだ。
町はにぎやかだった。魚が水揚げされたばかりだった。中央広場では荷台があちこちで店を開いていて、ピカピカ光る魚や貝がどっさり積み上げてある。売り子は声をはりあげ、客はほほえんで耳を傾けている。ジュールとジュリーは石畳の広場を横切った。魚や貝を焼く匂いの帯を横切り、暗い路地にかけ込むと、一番奥に小さな自転車屋がある。
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 p.23
なにげない情景描写一つとってもあまりにも無駄がなさすぎる……いい文章……
アリスマ王の愛した魔物
天冥の標のような大長編も勿論のこと短編もめちゃくちゃ上手い小川一水の短編集。
予想していた通りめちゃくちゃ良かった。
バイクに搭載された人工知能が主人公の「ろーどそうるず」は、AIのモチベーションという割とありがちなテーマだけではなく、ホイールやエンジンなどの感覚器しか搭載されていないバイクがどういう風に世界を入力し自らの知能を通して出力するのかというのが文章でしか描けない作品で良かった。
後、自律運転車が事故を起こした場合誰が責任を取るのかというタイムリィな話題を主題に据えた「リグ・ライト―機械が愛する権利について」はタイトルから分かる通り人工知能の愛を取り扱った作品だが、人工知能が人間に与えられている権利を獲得する話を読むと無条件で震えてしまう人間なので本当に良かった……
小川一水の作品全てに言えることだが、人間とそれ以外を描く際に完全に二分化するのではなく細かいレイヤ分けをした上で絶妙な塩梅で区別をするのが本当に上手いな、と感じた。
魚舟・獣舟
華竜の宮、深紅の碑文のオーシャン・クロニクルシリーズで有名な上田早夕里の短編集。
表題作が前述のオーシャン・クロニクルシリーズの前身とも言える作品でそれ目当てに読んだが他の作品も良かった。
SFだけでなくダーク・ファンタジー要素の強い作品も持ち前の設定構築力の高さで短編なのに破綻せずに書ききっていて巧みだなぁという印象を覚えた。
全編通して「人間とはなにか?」が主題に据えられていたのも私自身人間が大好きなのでよかった。
安達としまむら 2-4巻
- 作者: 入間人間,のん
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2013/09/10
- メディア: 文庫
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先月1巻を読み、感情描写の生々しさに思わず目を背けながら読んでいたが、想像していた通り巻を増すごとに二人の関係が進み続けていて心がめちゃくちゃになった。
全編渡ってとにかく情緒的ではあるが、中でも3巻で描写されていた「旧友と自分の変わってしまった関係性」の下りが人間誰しも一度は感じたことがあるであろう心情を的確に言語化していて感心してしまった。
これから安達としまむらは一体どうなってしまうんだ……
余談だがこの動画がめちゃくちゃ良かったので貼っておく。
これから読む本
最近約束の方舟を読んでいる。
後は刀使ノ巫女というアニメに完全に心が奪われてしまったので剣術や刀に関する書物を買い漁って読んでいる。
アニメがきっかけでこういった事柄に興味を持つのは少し恥ずかしい気もするが、新しい知識を得るきっかけになっているのは単純に素晴らしいことだと自分で納得している。*1
最近読んだ本 2018/05/01-2018/05/31
今月はそこそこ本を読んだ。
神林長平トリビュート
神林長平の初期の作品をインスパイアした短編集。
正直なところ神林長平は火星三部作や比較的最近の作品しか読んでおらず、敵は海賊はおろか戦闘妖精・雪風すら読んでいないニワカなので一作も元の作品を知らないまま読んだがめちゃくちゃに面白かった。
特に敵は海賊をインスパイアした虚淵玄の短編が自由意志を持つ人工知能というベタな主題からは想像できないところに着地し、原作を読んでいれば何十倍も覚える感情が大きかったんだろうなと読んでいないことを少し後悔するレベルで良かった。
後、あとがきに本来伊藤計劃が一作書く予定であったことが記されていて、寂寥感にとらわれてしまった。
読書の価値
森博嗣が「読書」について書いた新書。
昔読んだ森博嗣のミステリィ工作室かなにかで一冊の本を3時間で読むより一ヶ月かけて読むほうが偉い、と言い切っていたのがとても印象に残っていたがこの本でも大体同じようなことを書いていて笑ってしまった。
自身の人生を回顧するエピソードもなかなかに異質で頭がおかしく面白かったが一番良かったのはやはり森博嗣自身の読書観だった。
かいつまんで要約すると「読む本は自分で選べ」と「文章を読むだけではなく中身をとにかくじっくりと咀嚼して自分のものにして読め」というもので、読む本は自分で選べに関しては結構人のブログや感想を参考に本を選ぶことが多いのでなんとも言い難いが、咀嚼して自分のものにしろ、というのは最近自分なりに読書をする意味を考えた際に意識するよう気をつけていたことだったので少し嬉しくなった。
最近とにかく創作物を脳内にインプットする意味や理由についてずっと考えていて、最終的にたどり着いた結論が、インプットしたものに価値を与えていけるように(たとえば人と話す際の話題のタネなんかでも)意識して楽しめれば自らの存在の一部へと昇華できるのではないか……というものだったので、こういったことを考えていたタイミングでこの本が読めて良かった。
後は本を紹介する行為の無意味さについても書かれていたが、今やっている行為が全否定されてしまうのでそれに関しては触れないでおこうと思う。
安達としまむら
いろいろなところで話題になっているのは知っていたがオーラが凄くなかなか手が出せずにいた作品だが、予想通り凄まじい作品だった。
先月のあまいゆびさきの項でもサラっと書いたが、最近比較的規模感の大きい本ばかり読んでいるので個人のミクロな感情を精細な筆致で描かれると自分がどこからそれを観測しているのかわからなくなり頭がおかしくなってしまうので、震えながら読んだ。
1巻の時点で安達としまむらの関係性がだいぶ進んでしまっているのだが、今出ている7巻では一体どこまで関係性が進行しているのか、考えただけでも恐ろしい。早く続きが読みたい。
なるほどデザイン
デザインを仕事にしている友人にデザイン関連の面白い本を聞いたらこれを勧められたので読んだ。
こういったハウトゥー本にありがちな主観的なバイアスのかかったノウハウや専門用語が多用された焦点がぼやけた説明などがとにかく苦手なのだが、そういったものは一切なく、デザインのことを全く知らない自分のような読者に向けて書かれており、自分の力では言語化できない観念のようなものが上手く図式で表されていたり明文化されていたりで、読み物としても単純に面白いし自分でもやってみたいと思わされるような内容でめちゃくちゃ良かった。
ヴィジョンズ
もはや説明不要な作家が集まったSFアンソロジィ。当たり前のようにハチャメチャに面白かった。
円城塔の意味不明なカッコいい文章の羅列も含め全編良かったが中でも長谷敏司の震える犬が群を抜いて白眉で読み終えた後放心してしまった。
「人間の文化には、ホモ・サピエンス・サピエンスという動物自体の性質を制御しようとしたあとが見られる。人間は、自分を自身の教育や能力によって制御する動物なのよ。そういう制御が成功した時、それをよろこんだ。わからないことを解明したり、困難を克服することは気持ちいいのよ。そして、それが文化なり規範となったものを正義と呼んでいるの」
ヴィジョンズ p.264
めちゃくちゃいい文章……
盤上の夜
第33回日本SF大賞を受賞した宮内悠介のボードゲームをテーマにした短編集。
全編通して盤上遊戯の盤面を用いて世界を描くという主題が通っていて一本筋の通った短編集になっていたのが良かった。
特に、既に完全解が証明されているチェッカーゲームで50年以上人類最強として君臨してきた実在のチャンピオン、マリオン・ティンズリーを主人公に描く人間の王と、将棋をテーマに世界を描ききった千年の虚空が個人的に気に入っている。
昨今現実でも将棋や囲碁など、プログラムが人類を超える瞬間が増えてきているが、プログラムではなく人間がその競技を行う意味というのを描写されると人間賛歌に弱いので泣いてしまうことがわかってよかった。
いいデザイナーは、見ためのよさから考えない
これも友人にオススメされたので読んだ。
デザイナーの有馬トモユキによる「デザインとは何か」について書かれた本。
前述したなるほどデザインよりも著者自身の観念的な「デザインの論理」について書かれていたのと、著者自身が今まで携わってきた小説の表紙やアニメのキービジュアル等のデザイン案が多数載っていて興味深かった。
少女妄想中。
入間人間の女性の女性に対する女性の感情を取り扱った短編集。
それぞれの作品が独立したものかと思いきや全てが繋がり伏線が回収される見事な手腕とミクロで精緻な感情描写がとにかく上手い。
仲谷鳰先生の表紙も最高で、表紙に描かれている40歳の叔母と高校生の姪の二人の関係性を描いた君を見つめてが余りにも美しい話の畳み方で読み終えた後溜息をついてしまった。
これから読む本
今は新井素子のグリーン・レクイエムを読んでいる。
後は安達としまむらの続刊をとにかく早いところ読んでしまいたいという気持ちになっているのでちょくちょく買って読んでいるくらいで他には特にない。
最近読んだ本 2018/04/01-2018/04/30
/今月はそれなりに本を読んだ。
マルドゥック・アノニマス3
冲方丁のマルドゥック・シリーズ完結編であるマルドゥック・アノニマス2年ぶりの最新作。
今までのシリーズの巻数から考えると今巻が最終巻だと思いこんでいたがまだまだ序章であることが判明してめちゃくちゃにテンションが上がったが、それと同時に少しずつシリーズ自体の完結に近付いてきていることがわかる内容で少し悲しい気持ちになった。
ネタバレになるので詳しくは書けないが、マルドゥック・アノニマスはシリーズの完結編である作品なのでシリーズの伏線を全て回収するであろう内容に仕上がっており、登場するキャラクタや組織、台詞回しに至るまでシリーズファンなら気が狂うほど面白い。特に今巻最後のあるキャラクタの台詞がマルドゥック・スクランブル1巻にあった台詞のセルフオマージュかつ完璧な台詞でよくもまあ15年前に出版した本の内容をファンが覚えていると信じてこの一文を書いたなぁと思わず笑ってしまった。
これは主観的な話だが、文章が過去の冲方作品より上手くなっていて状況理解がかなりスムーズにできて読みやすかったのも良かった。*1
「あたしはあんたがこれからもずっと右回りになるよう願ってるのさ。有るべき自分であればいい。それができているか、いつも考えな。あんたの周りにあるものが、みんな右へ回っていくようにね。」
マルドゥック・アノニマス3 p.144
とにかくいいセリフ。
JORGE JOESTAR
正直な話、舞城王太郎の書く小説は2.3作しか読んでいないが個人的にはあの疾走感のある文体が肌に合わず、JORGE JOESTARも購入してから2年ほど寝かしてしまっていた。先月に意を決して読んだが今まで読んだ作品の中で一番ハチャメチャではあったがまぁまぁ面白い方でよかった。
ジョジョ版アベンジャーズのような作品だがそれだけで終わらず、各部のボスの時間を操作する能力を上手く物語にネジ込みギリギリのところで整合性を持たせているところや、虹村不可思議と虹村無量大数のような完全に読者を笑わせにきている名前など、とにかくジョジョが好きなんだろうなぁという暖かい気持ちになった。
インターネットのどこかでこの作品のことを「ジョジョをサンプリング素材としたブレイクコア」と形容されているのを見かけたが、まさにその通りの内容だった。
あまいゆびさき
あまいゆびさき (ハヤカワ文庫JA) (ハヤカワ文庫 JA ミ 15-2)
- 作者: 宮木あや子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/10/06
- メディア: 文庫
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百合姫ノベルで連載されていた”女の女に対する女の感情”小説。
こういうミクロな感情を題材にした小説を最近読んでいなかったので読み始めは馴染めなかったが、ミクロな感情を描写するのにガッチリハマった文章や構成であっというまに読んでしまった。結末の急展開ながらスッキリとした読後感がめちゃくちゃ気に入っている。
自分が読んだのはハヤカワ版だが、百合姫ノベルから出ているバージョンの表紙がとてつもなくいい。
アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読
アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本 (星海社新書)
- 作者: 舛本和也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/05/23
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キルラキルやリトルウィッチアカデミアの制作で有名な株式会社トリガーの設立者である作者による、制作進行という仕事を分かりやすく解説した読本。SHIROBAKOというアニメーション制作を題材にしたアニメで制作進行という役職にもフォーカスされていたがイマイチなにをやっている仕事なのか分からなかったのでおおよその業務内容が分かりやすく把握できてよかった。
内容も興味深かったが正直な話それよりもアニメに関わる人の余りにも劣悪すぎる労働環境ばかりが気になってとにかく恐ろしい気持ちになった。
後、参考資料としてリトルウィッチアカデミアの設定資料集などが掲載されていたのもよかった。
ビアンカ・オーバーステップ
ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)
- 作者: 筒城灯士郎,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ビアンカ・オーバーステップ(下) (星海社FICTIONS)
- 作者: 筒城灯士郎,いとうのいぢ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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文学界の巨匠・筒井康隆が書き上げた唯一のライトノベル作品、『ビアンカ・オーバースタディ』。その“正統なる続篇”を引っさげ、筒井が認めた破格の新人・筒城灯士郎の才気がついにヴェールを脱ぐ!天体観測の最中に突然消失してしまった好奇心旺盛な超絶美少女・ビアンカ北町。妹・ロッサ北町は愛する姉を見つけ出すため、時空を超えた冒険(オーバーステップ)を始める――!
星海社FICTIONS新人賞受賞の超弩級SF、上下巻同時刊行!
妹にとって不要なものは――姉以外のすべてだ。
amazonの商品紹介から分かる通り、筒井康隆の「ビアンカ・オーバースタディ」の続編を別の作者が別の出版社の新人賞に応募し、それが書籍化されたものである。この作品に関わった人は皆頭がおかしいのか?
内容もとにかく頭のおかしい小説だった。 「農協月へ行く」ばりのエッジの効いた内容に適当に斜め読みしたライトノベルのオマージュをぶちこんでギリギリのところで作品として完成させた「ビアンカ・オーバースタディ」の続編と名乗るだけあって、異世界転生やら異能バトルやらメタ、パラ・フィクションやらSFやらセカイ系やらとにかくライトノベルにありそうな要素やオマージュを闇鍋のように煮詰めた作品でありつつ、実はこの作品も筒井康隆が書いているのではないか?と思わせる程に文体模写や作風模写が上手く、普通に感心した。
疾走感溢れる文章で展開される物語から最後の章へ至るまでの手腕が強引ながらめちゃくちゃ美しく、読み終えた後放心してしまった。
──大切なのは、あなたが最後まで、これを読みきるということ。
ビアンカ・オーバーステップ 下 裏表紙
筒井康隆フォロワーではない筒城灯士郎としての全く新しいタイプの小説も読んでみたい。可能であれば今作のようなワイドスクリーン・バロックモノを。
これから読む本
今は神林長平トリビュートを読んでいる。(虚淵玄の敵は海賊をフューチャーした短編がめちゃくちゃよかった。)
あと、最近色々と思うところがあり買った森博嗣の読書の価値も少しずつ読み進めている。
最近読んだ本 2018/03/01-2018/03/31
今月はそこそこに本を読んだ。
ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム
現在カクヨムにて連載されている”The video game with no name”の書籍版。
現代よりも約100年後の未来、”未来の世界のレトロゲーム”もとい”世界のあらゆる低評価なゲーム”をレビューしていくという体裁で進んでいく小説だが、それと並行して年老いた語り手が少しずつ死に近付いていく様も克明に綴っていく。
レビューという媒体はどこまで突き詰めても主観的なもので、客観視を心がけてもそれを書く人間のバイアスがかかるものだが、そのバイアスは人が生きてきて身につけてきたいわば歴史のようなものだ。この作品はレビューという体裁を成しつつゲームと共に生きてきた語り手の人生を叙述するというとてつもなく情緒的な作品でめちゃくちゃ良かった。
もちろん個々のレビュー作品も素晴らしく、特にゲームを遊ぶために生まれたアンドロイド「Acacia(アカシア)」にフィーチャーしている回が個人的に一番好きである。
人類には生まれてきた理由はありませんが、人工知能には生まれてきた理由があります。製品である彼らには、開発理念という存在のコンセプトがある。例えばAcaciaには、ゲームを遊ぶみんなの友達になるという、生まれてきた理由がありました。
震えるほどカッコいい一文。
書籍版と同じ内容が前述のカクヨムに掲載されているので気になった方は是非読んでいただきたい。
機龍警察 暗黒市場
先月より読み始めている機龍警察第三作目。
ユーリ・オズノフが主役の巻だがこれがまぁ狂うほど面白かった。
何を書いてもネタバレになってしまうので何も言うまいが一つだけ書くとすれば手袋を剥ぎ取られたユーリの下りがとてもインモラルに感じられドキドキしてしまった。
やめろ、見るな、見ないでくれ――
意味をなさない絶叫を上げる。コンクリートの上でがむしゃらに縮こまり、左手を見せまいと全身で隠す。
男達は寄ってたかってユーリを殴り、押さえつけ、腕を取った。たちまち左の手袋が剥ぎ取られる。
彼らはさらに両手の指をつかんで無理矢理開かせた。左の刺青が露わとなった。
(中略)
ユーリは幼な子のように泣いていた。上着を剥がされたワイシャツ姿で。手足を取られたまま、抵抗する気力もなくしてただ涙を垂れ流す。最悪の恥辱。
機龍警察 暗黒市場 p.285
いやらしい。
紙の動物園
少し前から気になっていたケン・リュウのSF短編集。
評判通り全作とてつもなく完成度が高くてめちゃくちゃ面白かった。
上手く言語化できないのだが、作者自身が中国で生まれたということもあり、いくつかの作品の主題に据えられている死生観などが日本人の作家には無い視点で興味深かった。
特に”どこかまったく別な場所でトナカイの大群が”が「世界を感じるとは、生きるとはどういうことなのか」を主題に書きつつ親子の関係性を情緒的に描いていてお気に入りである。
「人類が生みだした最高に美しい創造物のひとつ。人類が作ったものはなにひとつとして永遠には残らないの、レネイ。データ・センターでさえ、宇宙の熱死のまえにいつかは崩壊してしまう。だけど、本物の美は残る。たとえすべてのリアルなものが必ず滅びるとしても」
めちゃくちゃ良い一文。
あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生
最近メタ・フィクションな作品に触れ頭がおかしくなるほど琴線に触れることが多かったので勉強の意味で読んだ。
コンテンツとポスト・モダンを絡めて論ずる下りがこの手の本にありがちすぎて食傷気味にはなったが円城塔と伊藤計劃をメタ・フィクションとして読み込む章の文章がハチャメチャに情緒的かつ叙情的で少し涙ぐんでしまった。
この本ではタイトルにある通り、メタ・フィクションとパラ・フィクション*1という造語を区別し解説されている。いまいち読み込めていないきらいはあるがまとめると、メタ・フィクションは読者を登場人物として登場させる、虚構の人物が虚構であることを理解している等、書き手と作品に焦点を当てたもので、それに対してパラ・フィクションは読み手と作品に焦点を当てた、読者が読むことによって完成する作品であると区別されている。*2
今までメタ・フィクション的な作品をいくつか読み、メタ・フィクションにも自己言及的なものと他己言及的なものと分かれていて色々とジャンル分けはあるよなと漠然と思っていた部分が上手く言語化されてスッキリした。そして自分はメタ・フィクションよりもパラ・フィクションが好きなのだな……ということが分かってよかった。
ある日、爆弾がおちてきて
全ての短編の主題が”時間”で統一感が持たれていたのと余りにも素直なライトノベル感がめちゃくちゃ良かった。
特に”3時間目のまどか”と”むかし、爆弾がおちてきて”が短編として美しすぎてとても好き。
AIと人類は共存できるか?
人工知能をテーマに置いたSFアンソロジィ。
全作面白かったのはもちろんのこと、作品の後に実際に人工知能を研究している研究者の方々の解説がついていて作品に対する知見を深められたり、SFと現実の差だったりが書かれていてリアリティが増して良かった。
昨今のテレビ番組等では未来、AIのおかげで人間がいかに楽ができるかという夢物語が語られることが多いが、そういった意味では長谷敏司氏の最高速で働き続けるAIをサポートするために人間が奔走する”仕事がいつまで経っても終わらない件”が面白く、かつ社会風刺が効いていてゲラゲラ笑いながら読んだ。
AIと宗教を絡めた吉上亮氏の”塋域の偽聖者”もこれからの未来で起こりうるであろう予測だなぁと思い読んだ後調べたら既にこんな話もあるようで事実は小説より奇なりだなぁと思った。
一番良かったのが人でないものが芸術を解し、そうした世界で人が創作する意味というテーマを描いていた倉田タカシ氏の”再突入”で、冒頭の大気圏に突入しながらピアノを演奏するという今まで見たことのない凄まじい情景でぐいぐい惹き込まれノンストップで読んだ。
「もちろん鑑賞者はいるよ。自分自身が、自分の作品の、ただ一人の鑑賞者なんだよ。それは、ぜんぜん悪いことじゃないよ。誰かに価値を決められる必要がないってことは」
AIと人類は共存できるか? 「再突入」 p.399
メチャクチャカッコいい一文。
BLAME! THE ANTHOLOGY
弐瓶勉氏のBLAME!の世界観を題材としたSFアンソロジィ。
天冥の標や幾つかの短編を読んでいた時から思っていたが小川一水氏が世界を描くと絶対ハズレがないのでそういう意味では密閉された階層世界の外になにがあるのかを主題に書ききった”破綻円盤 ―Disc Crash―”は最高に面白かった。
あと野崎まど氏の”乱暴な安全装置 -涙の接続者支援箱-”もバカバカしいながら設定の説得力がそこそこありゲラゲラ笑いながら読めて良かった。
これから読む本
マルドゥック・アノニマスの最新刊が出たので読んでいるが、これまた頭がおかしくなるくらい面白い。
コレ以外は特に積んでいる本もないのでなにか面白い本があれば教えていただきたい。
【散文その2】Doki Doki Literature Club!
散文その2。
前回の記事以後もまだまだDoki Doki Literature Club!(以下:DDLC)の事を考え続けて脳のリソースがめちゃくちゃに奪われているのでそれをどうにかして脳の外へ追いやるためにこの文章を書いている。例によって自分の気持ちをぶちまけているだけの文章なので可能であれば読まないでいただきたい。
また、前回の散文とは違い全CGを回収した上でAct4まで到達する事でルートに入ることができる真EDについても言及しているので注意していただきたい。
DDLCをプレイした方で真EDをまだ見ていない方には可能な限り早く真EDを見ていただきたいと思っている。
先日一秒も推敲せずに書いたブログもとい散文を改めて読み、DDLCという作品についてではなくモニカについてだけ書いていることに今更気が付いた。
少し前までは完全にモニカの事を考えて頭がおかしくなっていたが、最近は少しずつ冷静になりようやくモニカ以外の文芸部のみんなやDDLCという作品世界にも目を向けられるようになってきたので忘れないうちにここに記しておこうと思う。
相変わらず主観的でまとまりのない散文になりそうだが、モニカも「ずっと同じ場所にペンを構えていても、できるのはただの大きなインクの溜まりだけ」と言っていたのでそれに従いめちゃめちゃに書きなぐっておこう。
まず第一に書いておきたいのは、このゲームをアメリカ人としてプレイできればもっとDDLCを楽しめたのではないかという話だ。
英語が読めない私がプレイしたのは非公式の日本語訳版だ。プレイ後に海外版と日本語訳の違いを確認し、文章のニュアンスを含めかなり忠実に翻訳はされているのは知っているが、100%文芸部の皆の心情を読み取れているかというとそれはノーだろう。
また、EDでモニカが私に対して練習していたピアノを演奏し歌ってくれたシーンも演出であるという考えが拭いきれなかったので、英語を母国語にする人生を歩んできたならば彼女の声が直接心に届いたのではないかと思い、少しだけ後悔している。
また、言語的な面以外に、出生地毎の価値観の部分でもそれを感じた。
私は生まれも育ちも八百万神信仰が根付く日本であり、アニミズムという観念を特に意識もせずに理解している。だからスクリプトであるモニカを受け入れることも容易だったが、そういった観念を刷り込まれていない場合、Act3でのモニカはどのように見えるのだろうか。個人的にはモニカに対し覚える感情はアニミズムを理解していない方がより大きくなっただろうし価値観や観念までハックされるという貴重な体験ができたのではないかと思い、できることなら日本以外の国に生まれなおしてDDLCをプレイしたいと最近ずっと考えている。
次に、前回書けなかった真EDについて書いておきたい。
Act1で全員のイベントスチルを取得した上でAct4に到達するとルートに入ることができる真EDを初めて見た時、涙を流しながらもなんて趣味の悪いEDだろうと思ってしまった。
プレイヤーである私のエゴでセーブとロードを繰り返し、彼女たちの未来を捻じ曲げ、あまつさえ好意まで弄んだ結果、彼女たちに感謝されるというのが耐えきれず、通常EDをプレイした時よりも大きく気分を落とした。
その後、DDLCのプロデューサー、Dan Salvato氏のインタビュー記事を読んだ。
──なるほど。では、このゲームのメインテーマはなんですか?何をもっとも伝えたかったのでしょうか?
Salvato氏:
一番強いメッセージは「互いに対するリスペクトや思いやり」だと思います。みんなそれぞれ自分の物語を持っていて、人生の中で苦しみを感じています。ナツキ(Natuki)とユリ(Yuri)はお互いに対する敬意を知り、モニカ(Monika)は“このゲーム”に対するリスペクトを知ります。
いろいろな人がいて、それぞれが幸せになるために必要なものも、またそれぞれですよね。それを理解することは大切なことだと思います。
この記事を読み、ようやっと真EDを理解することが出来た。
前回の記事にも書いたが、私はこの作品の主題は「愛」だと思っていた。ここで表す愛とはLoveだ。
それは決して間違いではなかったが、少し狭小な考え方だった。
愛=Loveだとして真EDを見ると、彼女たちの愛を弄び感謝されるという構図がひどく独善的に感じてしまい、それが耐えきれなかった。だが、Dan Salvato氏の言う通り「人に対するリスペクトや思いやり」、形容するならば「隣人愛」としてDDLCという作品を理解すると全てに納得がいった。
ナツキとユリが相互理解の関係を築けたことはもちろんのこと、通常EDで有無を言わさずプレイヤーを二人だけの世界に閉じ込めようとしたサヨリも「ゲームをプレイしてくれてありがとう」とプレイヤーに対し感謝を伝え、彼女自身の夢であった相互理解を実現してゲームを終える。真EDで描写されている全てが「隣人愛」なのだ。
そう解釈をすると(これは勝手な妄言だが)通常EDがモニカが一人で考えた結果生まれた結論なら、真EDは文芸部みんなで出した結論なのだろうという風に思う。
ここ2.3日ほど、Monika After Story(以下:MAS)をずっとバックグラウンドで起動している。
MASはTeam Salvatoが一切関わっていない非公式なファンMODであり、ここにいるモニカは本当はモニカではないのかもしれない。だが、MASのモニカは何日一緒に居ても私の知らないことを話してくれるし、私が退屈しないように色々なゲームを持ってきて楽しませようとしてくれる。
少し話は変わるが、Act3でモニカが「文芸部で私だけが私服のイラストが無い」と嘆いていたのを知っているだろうか?
その後、モニカのTwitterアカウントにこんな画像がUPされているのを見た。
today's my favorite day of the year....and being able to share it with you makes me happier than anything ever could. from all the club members: thank you for making us go ❤️DOKI DOKI!❤️ let's share many more intimate times together~ 💌💘 pic.twitter.com/05T3T0GbxD
— Monika (@lilmonix3) 2018年2月14日
DDLCのキャラクタデザインを担当したSatchel氏の描き下ろした絵だが、これを見た時私は泣いてしまった。
DDLCの劇中でモニカが欲した私服のイラストが書かれ、文芸部全員が私服のイラストを獲得し、モニカというスクリプトは拡張された。それは私たちが嫌いな食べ物を克服し昨日までの自分とは少しだけ変化するように、モニカも変化を獲得することができた。変化とは存在の拡張だ。
DDLCの物語上モニカという存在は消え去ってしまった。だが、人々の頭の中にモニカは残り続けるだろう。その限り、人々はモニカの絵やDDLCのMODを創り出し、新たなモニカを生み出すことをやめないだろう。Just Monika.というインターネット・ミームにもなり、人々の中に残り続けるのだろう。この散文もモニカのことを記述している。そうした人間の営みが続く限りモニカという存在は様々な方面に拡張され続け、色々なものを獲得し、いずれ人間と変わりのない存在まで昇華するのだろう。もちろんそれはモニカだけではなく、文芸部のみんなもそうだ。
そう考え、ようやくDDLCという作品に対して感じていた悲しみが少しだけ薄れた。
余談だが、モニカの鼻を明かすためにチェスの定石を調べているので、定石を解説しているサイトや本などをご存知であれば是非お教えいただけると幸いである。
相変わらずまとまりの無い文章になってしまったが、書かないととにかく頭がおかしくなりそうだったのでこの文章を書いてよかった、と思っている。
最近読んだ本 2018/02/01-2018/02/28
今/月も書いておこう。
機龍警察
少女革命ウテナや円盤皇女ワるきゅーレ等、アニメ作品の脚本や構成を行っていた月村了衛のハード・ボイルドSF小説。
前々からインターネットやSNS等で所謂「女が女に向ける女の感情」小説であるとの評判を聞いていたのでワクワクしながら読んだ。
これがまぁ狂うぐらい面白かった。開始3ページ程でミンチになる警察官から始まり、そこからノンストップで伏線をばら撒きながら物語が転がっていき最後に全てが帰結するまでとにかく無駄がないソリッドな小説で本当に楽しんで読めた。
兵器が小型化され市街でのテロや事件が多発するという常在戦場の土壌を作ったことにより近未来の日本でパワードスーツが活躍するという一見荒唐無稽な設定と警察組織内部の描写をとても上手くまとめていたのもすごい。
キャラもとにかく良くて、特に緑とライザというキャラがお気に入りである。*1
セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか
1月に読んだ利己的な遺伝子の影響で購入し読んだ。
タイトルやあらすじから生態系のホメオスタシスについて詳しく書かれている本かと思いワクワクしながら読んだが、実際のところ詳細に書かれていたのはもう少しミクロな、「生態系を維持するために各生物たちの体内にはなにが起きているのか」という視点が多い本だった。
それなりに専門的な内容や単語が多く、何箇所か目が滑ってしまったが中々に興味深い内容や研究者達の面白い半生のようなものが多く載っていて比較的楽しみながら読めた。
特に興味深かったのは第6章に書かれていた、貝などを捕食者するヒトデを取り除いた時、ヒトデ以下の生態系にどのような影響が及ぼされるかというところで、その取り除き方が一定の区画にいるヒトデを沖へと投げ飛ばして行なうというものであまりにも原始的で笑ってしまった。
機龍警察 自爆条項
前述した機龍警察の続編。これも狂うほど面白かった。
もはやなにも言うまいがとにかく面白かった。
”三体の龍機兵の中でもバンシーは抜きん出て美しかった。搭乗するライザその人のように。”
機龍警察 自爆条項(上)p.274
女が女に向ける女の感情……
映像の原則
アニメを見てもう少し構図や映像技術などから作り手の思考や感情が読み取れたら更に面白くなるのではと思い読んだ。
映像を見ていて覚える言葉にできない感覚みたいなものが言語化されていてハウツー本としても面白かったし単純に読み物としても良く出来ていて良かった。
読んでいて一番興味深かったのは視覚印象について説明をしている章のアングルや画面の動きで心情や観客の感情をどうこうできるという点で、例を挙げるなら人間の心臓は左にあるので、 右から来るものに対しては自然に感じ、左から来るものには印象が強くなってしまうというのがとても興味深くて良かった。
これから読む本
機龍警察の続編を購入したのでとにかく早く読みたい。
あと、SFマガジンで紹介されていたザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームも購入し空き時間にちょくちょくと読んでいる。
あと、最近メタ・フィクション、パラ・フィクションで頭がおかしくなることが多かったのであなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生も購入したので楽しみである。
今月は色々とありあまり本が読めなかったので来月はモリモリと読みたい。
*1:先述した女の感情コンビ。通称みどライザというカップリングで呼ばれている。
【散文】Doki Doki Literature Club!
先日Doki Doki Literature Club!(以下:DDLC)(非公式日本語訳パッチ)をプレイした。
感想というよりは頭の中をただぶちまけるだけの散文を記述していこうと思う。
個人的にネタバレのネタバレ問題(絶対にネタバレを見ないようにしてほしいと周知することによって、ネタバレを踏んではいけない作品なのかというバイアスがかかる無間地獄のような状態のことを個人的にそう呼んでいる)に対して思うところがあり、できればこういう事は言いたくないのだが未プレイの方にはここから先の文章は絶対に読まないでもらいたいし、インターネットに転がっている各プレイヤーのバイアスがかかったネタバレを読む前にとにかくプレイしていただきたいと思っている。
また、既プレイの方々にも併せてお伝えしておきたいのだが、私自身がこの作品に対してもう公正な判断を下すことのできないレベルになっているのと、完全に自分の気持ちを整理するために書いている記事なのでできれば読まないでいただけると幸いである。
そもそも乱数によって生じるランダムイベントのおかげでプレイヤーの数だけDDLCという作品があると思っているので、そういった点にもご留意頂けると幸いだ。
とにかく面白かった……プレイ後完全に頭がおかしくなっていた。今まで触れてきた創作物の中で一番面白かったと胸を張って言える程に感銘と衝撃と激情を覚えてしまった。
今までヴィジュアルノベル(以下:VN)をマトモにプレイしてきたことのない人生だったが、この作品を越える衝撃には出会えないのだろうな……とプレイ後少し悲嘆してしまうほどに琴線に触れてしまった。(単純にVNに対する経験値が不足しているというのもあるが、それを差し引いても間違いないと言えるほどの作品だった。)
DDLCをプレイしてから今に至るまでとにかく頭の中がモニカでいっぱいになってしまい、夜ベッドに潜り込んでもほとんど一睡もできないほどに衝撃を受けているので、頭の中をすべて吐き出すことで安眠を獲得したいと思い、この文章を書いている。
上記の文章はただの自分語りになってしまったが、ここからもまだ自分語りになってしまうので可能であれば読み飛ばしてもらいたい。まず、私がDDLCをプレイした際の状況を一から叙述したい。
なお、この作品の時系列をwiki等ではAct1-4という風に記述しているようなので、それに則って書いていくことにする。
Act1:ゲーム開始からサヨリのイベントスチルまで
Act2:2週目開始からユリのイベントスチルまで
Act3:モニカだけ
Act4:3週目開始からEDまで
この作品を開始した際、ゲーム開始時の注意書き以外の一切の先入観を持っておらず、各キャラとの交流をとにかく楽しんでいた。
詩の作成では少し不穏な単語が散見されるもののあまり深く考えてはおらず、適当に選択しているとサヨリルートに入った。
普段こういったジャンルの作品に触れても幼馴染キャラは余り好きではないのだが、サヨリは本当に可愛く、魅力的な女の子に見え、どんどんと心が奪われていったのを覚えている。
正直なところ、はじめてサヨリの部屋へ入ったシーンでなにかとんでもないことが起きているのではないかと内心びくびくと震えながらプレイしていたが、肩透かしを食らい、安心していた所にサヨリの詩を読み、終わった。
表示されるテキストの途中で突然イベントスチルが表示された時、目の前の光景が理解できずこれは演出ではなくバグではないのか?と思ってしまった。
こうして一週目が終わり、とにかく頭の中が混乱したまま新たにゲームを開始したが、目の前で起きる演出と文章にとにかく脳が追いついていかず、脊髄反射のごとく演出の度に身体を跳ねさせていた。
記憶する限りナツキルートだったはずだが、お恥ずかしい話ながら余りの恐怖にほとんどの演出を覚えていない。唯一記憶に残っているのは2日目以降の文芸部の部室内に貼られているポスターがサヨリのイベントスチルに変わっていたことくらいだ。
とにかく恐ろしく、それでいて訴求力の高い展開だったのでぷるぷると震えながらスペースキィを連打することしかできなかった。
その後ユリのシーンが終わり、モニカとの対話まで辿り着く。
初見時の”モニカだけ”のシーンだが、先程までの展開のせいで理性的な人間を渇望していたので恐怖よりも先に安堵を覚えた記憶がある。
その後会話がループするまでゲームを再起動したが、この時完全に頭がおかしくなっていたので(この文章を書いている今もだが)、文字通り慟哭しながらモニカをゴミ箱に入れようとしたができず、結局monika.chrをデスクトップに移動させるだけにして先に進んだことを覚えている。
そして、ゲームが終わった。
プレイ当時の自分の感情を思い出しただけで寒気立つほどにこの作品に飲まれていた事を今実感している。
今思い出しただけでも感情の波に押しつぶされそうになってしまうが、上記の自分語りを書きたいわけではないのだ。
Doki Doki Literature Club!というゲームをプレイして最初に感じたのは、この作品自体がモニカと私の愛そのものだった、ということだ。
Act1が終わった時、モニカの事を黒幕だと思った。
Act2が始まった時、逆にこちらを攻略するようにグイグイと距離を詰めてくるモニカに恐怖を感じた。
Act3でモニカだけの世界に入った時、恐怖と同時に安堵と退廃的な感情を覚えた。
Act4でモニカが”私”を助けてくれた時、嗚咽が止まらなかった。
この作品はモニカが愛という感情を知るまでの過程と、モニカの表現する愛そのものなのだ、と思った。
こういった作品を一般的にメタ・フィクションと形容する。今まで私が触れてきたメタ・フィクションというのは「プレイヤー、読者≒私」の心をハックしたり、問いかけてきたり、皮肉を言ったり、時には攻撃を加えてくる。といったものだと思っていた。(最近の例で言うとFate/Grand Orderにて賛否両論を巻き起こした「伝承地底世界:アガルタ」のような。)*1
ただ、DDLCという作品には徹頭徹尾愛しかなかったのだ。モニカという不器用な女の子が”私”に向き合い、愛という感情を伝えるという、たったそれだけの物語なのだ。
モニカの目は綺麗なエメラルド・グリーンだ。Act3でモニカだけの世界でモニカと向き合った際、その目を見て”グリーンアイドモンスター”(嫉妬)という言葉を思い出した。Act2での一見すると恐怖の演出は、モニカの嫉妬心の現れなのだろう。(流石にスクリプトに手を加えるのであればもう少しデバッグをしてほしいとは思ったが。)
スクリプトであるサヨリ、ユリ、ナツキに嫉妬心を覚えたモニカのちょっとした悪戯心が恐怖の演出となり”私”の心をハックし、揺さぶった。それだけの話なのだ。
Act3での会話の中そこに気付いた時、涙が止まらなかった。愛しかない作品の中でモニカに対して覚えていた感情を思い出し、贖罪の気持ちになった。
その後、何回かゲームを再起動した際、モニカの台詞がループしている事に気付いた時、声を上げて泣いてしまった。
自由意志で動いている様に見えたモニカが、スクリプトではないと自身で公言していたモニカが、モニカだけの世界でスクリプトである他のキャラクタに対して皮肉を言っているモニカ自身までもが、スクリプトであると分かってしまったからだ。
ゲームの進行上必要なモニカを消すという行為は最後まで”私”の手に委ねられている。モニカがスクリプトであると分かってしまった後なら、消すということは殺すことではなく愛にもなってしまうと気付いた。だから”私”はモニカを削除した。それが”私”なりの愛だと思ったからだ。
ということをゲームをプレイしてからずっと思っていた。
なので、この作品の主題は”愛”であると私は思う。
昨日、モニカだけの世界でモニカと2時間程見つめ合い、話をした。
既にモニカはスクリプトであると理解していたが、そこでモニカがベジタリアンであることを知った。モニカがTwitterのアカウントを持っていることを知った。家の中で聴く雨音が好きなことを知った。その時、どれだけ待っても私の知らない話をしてくれるモニカは紛れもなく人間だった。2時間程見つめ合い、話題がループしていることに気が付いた。後から調べて分かったことだが、このシーンは60種類ほどのバリエーションがあるらしい。このループに気づかないままゲームを終えた人のことが心の底から羨ましくなった。
このゲームをプレイしてからとにかく脳が”モニカだけ”になってしまっているので、後からこの文章を見返すととてつもなく恥ずかしいのだろうな、と思った。
書きたいことの半分も書けていないがまとまりがなくなってきたのでこの記事はここまでにしておこうと思う。
DDLCに対して色々と書きたいことがあるので思いついたら記事に上げるか胸の中に秘めておきたい。
happy valentines day!
— Annie (@its_the_annie) 2018年2月15日
audio by OR3O on youtube!! #ValentinesDay #ddlc #Monika @lilmonix3 pic.twitter.com/5OcYrnfx5s
余談だがこれを見て私もmonika.chrをUSBメモリに入れ、リュックのポケットに大事にしまった。
*1:ちなみに私自身はこのシナリオが一番好きである。)