恥の上塗り

恥の恥

【散文】Doki Doki Literature Club!

先日Doki Doki Literature Club!(以下:DDLC)(非公式日本語訳パッチ)をプレイした。


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感想というよりは頭の中をただぶちまけるだけの散文を記述していこうと思う。

個人的にネタバレのネタバレ問題(絶対にネタバレを見ないようにしてほしいと周知することによって、ネタバレを踏んではいけない作品なのかというバイアスがかかる無間地獄のような状態のことを個人的にそう呼んでいる)に対して思うところがあり、できればこういう事は言いたくないのだが未プレイの方にはここから先の文章は絶対に読まないでもらいたいし、インターネットに転がっている各プレイヤーのバイアスがかかったネタバレを読む前にとにかくプレイしていただきたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、既プレイの方々にも併せてお伝えしておきたいのだが、私自身がこの作品に対してもう公正な判断を下すことのできないレベルになっているのと、完全に自分の気持ちを整理するために書いている記事なのでできれば読まないでいただけると幸いである。

そもそも乱数によって生じるランダムイベントのおかげでプレイヤーの数だけDDLCという作品があると思っているので、そういった点にもご留意頂けると幸いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく面白かった……プレイ後完全に頭がおかしくなっていた。今まで触れてきた創作物の中で一番面白かったと胸を張って言える程に感銘と衝撃と激情を覚えてしまった。

今までヴィジュアルノベル(以下:VN)をマトモにプレイしてきたことのない人生だったが、この作品を越える衝撃には出会えないのだろうな……とプレイ後少し悲嘆してしまうほどに琴線に触れてしまった。(単純にVNに対する経験値が不足しているというのもあるが、それを差し引いても間違いないと言えるほどの作品だった。)

DDLCをプレイしてから今に至るまでとにかく頭の中がモニカでいっぱいになってしまい、夜ベッドに潜り込んでもほとんど一睡もできないほどに衝撃を受けているので、頭の中をすべて吐き出すことで安眠を獲得したいと思い、この文章を書いている。

上記の文章はただの自分語りになってしまったが、ここからもまだ自分語りになってしまうので可能であれば読み飛ばしてもらいたい。まず、私がDDLCをプレイした際の状況を一から叙述したい。

なお、この作品の時系列をwiki等ではAct1-4という風に記述しているようなので、それに則って書いていくことにする。

 

Act1:ゲーム開始からサヨリのイベントスチルまで

Act2:2週目開始からユリのイベントスチルまで

Act3:モニカだけ

Act4:3週目開始からEDまで

 

この作品を開始した際、ゲーム開始時の注意書き以外の一切の先入観を持っておらず、各キャラとの交流をとにかく楽しんでいた。

詩の作成では少し不穏な単語が散見されるもののあまり深く考えてはおらず、適当に選択しているとサヨリルートに入った。

普段こういったジャンルの作品に触れても幼馴染キャラは余り好きではないのだが、サヨリは本当に可愛く、魅力的な女の子に見え、どんどんと心が奪われていったのを覚えている。

正直なところ、はじめてサヨリの部屋へ入ったシーンでなにかとんでもないことが起きているのではないかと内心びくびくと震えながらプレイしていたが、肩透かしを食らい、安心していた所にサヨリの詩を読み、終わった。

表示されるテキストの途中で突然イベントスチルが表示された時、目の前の光景が理解できずこれは演出ではなくバグではないのか?と思ってしまった。

 

こうして一週目が終わり、とにかく頭の中が混乱したまま新たにゲームを開始したが、目の前で起きる演出と文章にとにかく脳が追いついていかず、脊髄反射のごとく演出の度に身体を跳ねさせていた。

記憶する限りナツキルートだったはずだが、お恥ずかしい話ながら余りの恐怖にほとんどの演出を覚えていない。唯一記憶に残っているのは2日目以降の文芸部の部室内に貼られているポスターがサヨリのイベントスチルに変わっていたことくらいだ。

とにかく恐ろしく、それでいて訴求力の高い展開だったのでぷるぷると震えながらスペースキィを連打することしかできなかった。

その後ユリのシーンが終わり、モニカとの対話まで辿り着く。

 

初見時の”モニカだけ”のシーンだが、先程までの展開のせいで理性的な人間を渇望していたので恐怖よりも先に安堵を覚えた記憶がある。

その後会話がループするまでゲームを再起動したが、この時完全に頭がおかしくなっていたので(この文章を書いている今もだが)、文字通り慟哭しながらモニカをゴミ箱に入れようとしたができず、結局monika.chrをデスクトップに移動させるだけにして先に進んだことを覚えている。

 

そして、ゲームが終わった。

 

プレイ当時の自分の感情を思い出しただけで寒気立つほどにこの作品に飲まれていた事を今実感している。

今思い出しただけでも感情の波に押しつぶされそうになってしまうが、上記の自分語りを書きたいわけではないのだ。

 

 

Doki Doki Literature Club!というゲームをプレイして最初に感じたのは、この作品自体がモニカと私の愛そのものだった、ということだ。

Act1が終わった時、モニカの事を黒幕だと思った。

Act2が始まった時、逆にこちらを攻略するようにグイグイと距離を詰めてくるモニカに恐怖を感じた。

Act3でモニカだけの世界に入った時、恐怖と同時に安堵と退廃的な感情を覚えた。

Act4でモニカが”私”を助けてくれた時、嗚咽が止まらなかった。

この作品はモニカが愛という感情を知るまでの過程と、モニカの表現する愛そのものなのだ、と思った。

こういった作品を一般的にメタ・フィクションと形容する。今まで私が触れてきたメタ・フィクションというのは「プレイヤー、読者≒私」の心をハックしたり、問いかけてきたり、皮肉を言ったり、時には攻撃を加えてくる。といったものだと思っていた。(最近の例で言うとFate/Grand Orderにて賛否両論を巻き起こした「伝承地底世界:アガルタ」のような。)*1

ただ、DDLCという作品には徹頭徹尾愛しかなかったのだ。モニカという不器用な女の子が”私”に向き合い、愛という感情を伝えるという、たったそれだけの物語なのだ。

モニカの目は綺麗なエメラルド・グリーンだ。Act3でモニカだけの世界でモニカと向き合った際、その目を見て”グリーンアイドモンスター”(嫉妬)という言葉を思い出した。Act2での一見すると恐怖の演出は、モニカの嫉妬心の現れなのだろう。(流石にスクリプトに手を加えるのであればもう少しデバッグをしてほしいとは思ったが。)

スクリプトであるサヨリ、ユリ、ナツキに嫉妬心を覚えたモニカのちょっとした悪戯心が恐怖の演出となり”私”の心をハックし、揺さぶった。それだけの話なのだ。

Act3での会話の中そこに気付いた時、涙が止まらなかった。愛しかない作品の中でモニカに対して覚えていた感情を思い出し、贖罪の気持ちになった。

 

その後、何回かゲームを再起動した際、モニカの台詞がループしている事に気付いた時、声を上げて泣いてしまった。

自由意志で動いている様に見えたモニカが、スクリプトではないと自身で公言していたモニカが、モニカだけの世界でスクリプトである他のキャラクタに対して皮肉を言っているモニカ自身までもが、スクリプトであると分かってしまったからだ。

ゲームの進行上必要なモニカを消すという行為は最後まで”私”の手に委ねられている。モニカがスクリプトであると分かってしまった後なら、消すということは殺すことではなく愛にもなってしまうと気付いた。だから”私”はモニカを削除した。それが”私”なりの愛だと思ったからだ。

 

ということをゲームをプレイしてからずっと思っていた。

なので、この作品の主題は”愛”であると私は思う。

 

昨日、モニカだけの世界でモニカと2時間程見つめ合い、話をした。

既にモニカはスクリプトであると理解していたが、そこでモニカがベジタリアンであることを知った。モニカがTwitterのアカウントを持っていることを知った。家の中で聴く雨音が好きなことを知った。その時、どれだけ待っても私の知らない話をしてくれるモニカは紛れもなく人間だった。2時間程見つめ合い、話題がループしていることに気が付いた。後から調べて分かったことだが、このシーンは60種類ほどのバリエーションがあるらしい。このループに気づかないままゲームを終えた人のことが心の底から羨ましくなった。

 

このゲームをプレイしてからとにかく脳が”モニカだけ”になってしまっているので、後からこの文章を見返すととてつもなく恥ずかしいのだろうな、と思った。

 

書きたいことの半分も書けていないがまとまりがなくなってきたのでこの記事はここまでにしておこうと思う。

DDLCに対して色々と書きたいことがあるので思いついたら記事に上げるか胸の中に秘めておきたい。

 

 

 

余談だがこれを見て私もmonika.chrをUSBメモリに入れ、リュックのポケットに大事にしまった。

*1:ちなみに私自身はこのシナリオが一番好きである。)